いつの間にか身につけてしまった「偽りの仮面」に気づく 心理学のエッセンスBlog


2022/1/3~


無意識の人生計画を紐解く

◆お決まりのシナリオ/人生脚本

今日こそ早く家を出て遅刻しないで出勤しようと思っても何故か遅れてしまう
今度こそ仕事を辞めないと思っても何故か辞める羽目になる
何故か自分では分からないけれど、いつも独りぼっちになってしまう

このように繰り返すパターンはないだろうか?
「自分で止めたい、二度と同じことをしたくないと思っても不可能なこと」
自分独自のドラマを交流分析(Transactional Analysis)では「人生脚本」と呼びます

人生脚本とは
人生の早期に親の影響の下に発達し、現在も進行中のプログラムを言い、個人の人生最も重要な局面でどう行動するか指図するもの と定義されます

自分自身のプログラム(program)と定義されているということに注目してください
従うべき計画やスケジュールが既にあると考えます
一定の行動様式、企画が含まれ、どのように実行していくかその方法もあり本人がプログラムに逆らえない無意識の決まりと言っていいでしょう

今までの自分の人生を振り返ってみてください
同じようなパターンが繰り返されてないでしょうか?
特に受験、就職、結婚などおおきなライフイベントに現れている可能性があります
自分の考えを脇に置き周囲の言う通り決定をする、そしてその後で後悔の気持ちを抱き続けてしまう…このような事が何度もあるなら
「自分は周りを優先し自分を大切にせず後で後悔する」
のような脚本があるかもしれません

脚本は自分自身が自分の生き方を決定し自分が執筆していますが、意識にのぼってくることがありません 無意識の働きなのです

 

◆小さなワーク1

小さな頃の自分を思い出してください
小学校の1年生くらいの自分です 小学校の名前は?何組?
その頃大好きだったTV番組や物語は?
小学1年生にこだわることもありません
小さかった頃夢中になった物語は?

どんなストーリーでしたか?

 

登場人物を思い出してみましょう

 

自分がなりたかった登場人物は誰でしたか?

 

そのキャラはどんな風でしたか?

 

自分がそのキャラになったとしたら、
そのストーリーの中でどんな風に行動するでしょう?

 

イメージを味わってください

 

自分なりにサブタイトルをつけてみましょう
そのキャラを含んだストーリーのテーマは何でしょう?

 

今の自分に影響があるとしたら…

 

◆脚本のテーマ

脚本のテーマ・エッセンスは自分が最も関心を寄せている物語やよく覚えている物語の中に見出すことができます 小さい頃の自分の心情を好みのキャラクターに重ねて空想をしたり感情を移入させていたのかもしれません 
また、物語の結末を自分の人生の結末と重ねている場合もあります

さて、「小さなワーク」で浮かんだことはどんなことでしょう?

小さな自分の世界を味わって気が付いたことがあったらメモしておきましょう

 

◇セルフケア

★否定的な感覚を思い出された方もいらっしゃると思います
大きな感情が浮かび困っている場合は、その感じを否定しないで少し距離を取り眺めてみてください 具体的に「その感じ」の様子を眺めて「その感じ」の居場所を作りましょう 本棚のなか、とある草原、机の上などしっくりくる場所へ置いてみてください 置けたなと思ったら離れてください 深呼吸!

 

◆自分独自のよくあるパターン

交流分析では誰でも幼い頃に自分の生き方について大雑把にあらすじと結末を決めると考えます 脚本のプロットを決めるということです
小さな自分は経験も知識も乏しく今の自分のようには考えることができませんので、ユニークで個性的、そして魔法的、ファンタジックな決め方をする場合もあります どんな決め方をしていても幼い自分の精一杯の脚本執筆に違いありません
ただ、大人になって通用するか有効に使えるかと言えば無理があるのです 

 

◆小さなワーク2

自分の人生、生き方をぼんやり思い浮かべましょう
そして次の○○に浮かんだ言葉を入れてみましょう

 

・私は ○○ だ

・私は ○○ をする

・そして(でも) ○○ となる

・最後に ○○ になる

 

どんな言葉が浮かびましたか?
脚本は無意識の決定です 一端決めてしまうとその後に起こる様々な出来事を決定に合わせて見るようになります 現実に起こっていることをそのまま見ることが出来ず、脚本に合わせて解釈しその反応はログラムされた行動になります
そして、プログラムを積み重ねることで更に強化され生きる上での確信になります

 

◆小さなワーク3

最近の気になる場面、嫌な気分になった場面を思い出してみましょう
誰とのことですか?
何が起こりましたか?
そしてどうなりましたか?

その場から離れて一人になりました
○○にはいる言葉は何でしょう?

 

やっぱり、○○になった…

いつも ○○ になる

どうせ ○○ だ

ほーら ○○ だ

 

○○は自分が結末に決めたことです 毎日の出来事に現れますが大きなスパンでは人生全体の結末とも言えます 毎日の積み重ねが人生、日々、無意識に○○に向かったプログラムを遂行していると考えることができます
もし、このパターンを繰り返していたと気がついたなら、やめることも可能です 自分の特定のパターンを見つけ結末に至る前に気がつきプログラムを止める勇気を持ちましょう 自分が執筆したのですから自分で修正できると信じることが大切です


気がついたことがあったらメモしておきましょう

 

◆脚本を使い続けるのは何故?

脚本は概ねうまくいきません 幼い子供が書いたのですから大人が使う様式でもありません それでは何故使い続けるのでしょうか

・魔法の解決法だと信じている
幼い子供の能力は目の前に出来事に対応できないこともしばしばあります じっと我慢して耐えていると「白馬の王子様」「仮面ライダー」がやってきてあっという間に解決してくれる…(周囲の)大人が何とかしてくれるので自分は何もしない 
そんな思い込みをしている
または、なんとか頑張っていれば助けが来ると信じて頑張り続ける

・災難をやり過ごした成功例を続ける
子供なりに何とか出来た方法を続けている 自分では不本意で納得していないけれどとりあえず周囲の大人にウケている、褒められた方法が身についてしまった

・周囲の大人の厳しい指示
厳しい躾、家風、慣習、掟を繰り返し与えられ身についている またはモデルになった大人が存在する

 

大人ならそれまでの人生経験や知識、精神的な成長で適切な判断や解決法を考えられます 現実でも仕事、家事、人間関係を自分で考え、判断して社会生活を送っていると思います しかし、ストレスが高い状況、切羽詰まった場面では今でも「脚本」のプログラムが動いてしまいます 

「ここはこうするしかない」
「私は無力で何もしない方がいい」
「何もかもどうでもいい どうにでもなれ」
「逃げよう」

などいつもの思い込みが浮かぶとき「脚本」の舞台に立っているのです

 

◆まず気づこう

いつものパターンを止めるためには、まず、いつものパターンを知ることです

「脚本」は今の自分を生きていません 子供の頃に身につけたパターンを無意識に続けている、子供の自分を生きているということを知っておきましょう
そして、私が一番大切だと考えることは、決して今までの自分を否定しないということです 「脚本」という理論を知り、今まで自分は何をしていたのかと否定的な気持ちになったとしても、今知ったことであって過去の自分は知らなかったのです
「脚本」を知ったことをむしろ肯定的に考え、これからの自分に役立てる、自分らしく生きる目的を持つ方が大切ではないかと思います

 

あなたの「脚本」の内容はどんなことですか?

タイトルと結末は?

それを知ったあなたはどうしますか?

 

◆交流分析

交流分析を学ぶ上で大切なことは、決してあきらめてはいけないということ
交流分析はフロイトの精神分析をルーツに持ち、発達心理、行動心理、認知行動療法、ゲシュタルトセラピィなどを取り入れ発展してきました 理論に矛盾がなく自己実現、自律を目指す心理学です
理論を学ぶとつい自分の不完全を思い落ち込むこともありますが、多くの理論の中に必ず自分にあった言わばお気に入りの理論があります 理論のオールラウンダーでなくてもお気に入りの理論を使うことで自己実現を目指すことが可能です

 

 

 

 

 

救世主妄想

心理的なサポートは楽じゃない、まして仕事にするなら楽を選んではいけないと私は思う 自分の楽・FUNと距離を置き趣味や興味と区別すべきだ
それから生半可なサポートはするべきでない
因みに生半可とは未熟、不十分、中途半端の意
未熟はそのうち解消されるかもしれないが、その後の二つ、不十分と中途半端は心理的なサポートをどう考えているのか支援者としての立脚点に関わり、充分、不十分は支援者側だけで判断できるものでもなく医療と無関係なら益々判断できない そもそも心理支援は過不足を判断できる行為でもないし、良悪しは直ぐに見えるものでもなく何年も過ぎてから何となく分ることもある

心理支援者は自分が何者なのか知る努力が必要だと私は考えている 心理カウンセラーは万能者でも魔法使いでも赤い彗星でもない

 

「センセーのようなカウンセラーになるには…」
のような質問を頂くことがあるが「私のようなカウンセラー」はその方が持っている理想のカウンセラー像を私に張り付けている場合が多い
ということで私がどうな風にみえているのか話して頂く 話しているうちにほとんどの方は自分がなりたいカウンセラーを話していると気がつく

現実の私は「センセーのようなカウンセラー像」と随分違う むしろ私のようなカウンセラーは目指さない方がいいと思う 楽にするだけの人助けを目的にしていないし苦しさを切り取らない、安易に共感を示さないし、必要だと思えば対決する、人の役に立つことが難しすぎて未だに模索、学びを続けている

 

カウンセリングは、ある心の葛藤や苦しみを抱えたクライエントさんが来てカウンセラーはその方の人生のある部分に関わる もしかしたら人生の重要な決断に繋がるかもしれない
そういう可能性はいつも漂っている
カウンセラーが知ろうが知るまいが、想像するかしないかは全く関係なくその方の人生のある部分を共に生きその方の人生に何かしらの影響を与えてしまう
いい加減や中途半端、逃げ、誤魔化しはその関係性にあってはならない

 

カウンセラーはまず自分と向き合って嚙み砕いて飲み込んである程度消化した上に立たないといけない 瞬間解決「先生ありがとう!」的な話はメルヘンだと思った方がいい
メルヘンチックな気持ちでは相手との対話に留まることが困難な場面は想像しているより多い 理論やスキルが役に立たない場面は本当に多くある
「人を救うことが使命」と口にする方が最近多くなった気がしているが使命であるならそれなりの在り方があるだろう
クライエントさんは現実に今日、今ここでも苦しんでいる メルヘンではない

 

心理支援は誰かをサポートしたい動機は力になる
しかし、過度に人を救いたい欲求がある場合は誰のためのカウンセリングか分からない場合がある カウンセリングやコーチングをしたいと思う気持ちの根底に自分の満足や承認されたい気持ち、人より上/救済者でありたい気持ちがないだろうか

・カウンセリングしてあげた
・アドバイスしてあげた
・私が側にいて良かったね

こんな言葉使いをよくしていないだろうか
上から目線言葉を無意識に使っているとしたら、相手より上にいるべきだと思い込んでいるかもしれない

・自分は人を救う力や才能がある

自分の精神的な安定に過度の価値づけが必要
人を救えない自分に価値はないので救い続けなければならない思い込みがあるかもしれない

・人助けをすると気持ち良い

人助けをしている時に脳は化学物質を分泌する
「ハピネス・トライフェクタ」(3つの幸せホルモン)が放出される 人助け中毒の背景には脳内物質が関係しているかもしれない

 

★救世主妄想
メサイア・コンプレックス(またはキリストコンプレックス)
・自分が救われたいから他人を救う
・人を助けることで自分の存在意義を確認する
・他人を救うことで優位に立とうとする

★ホワイトナイト症候群
自分のアドバイス、コーチングなどで人を支援することで相手を救いたいという欲求

 

心理支援に携わる動機のひとつに過去に精神的なダメージを受けた経験がある
自分が立ち直った経緯から恩返ししたいタイプと立ち直り切れてない痛みをクライエントさんを使って癒そうとする、あるいはケアしていない痛みを癒そうとしている場合もある 
先にあった「カウンセラーはまず自分と向き合って嚙み砕いて飲み込んである程度消化した上に立たないといけない」とはどれくらい自分の傷を自覚して理解しているかということだ 無意識にクライエントさんを自分のケアのツールにしてはいけない

ユングのアイディアに
・傷ついたヒーラー WOUNDED HEALER
心に傷がある人が心理支援に能力を発揮するというような意味

心に傷があるのは恥ずかしい事ではい
当事者としての自分を理解、認め心理支援を行うことでスキルや知識以上のセラピーが生まれることもある

傷ついた癒し手は
正しいこと、正論が通用しない世界を身をもって知っている
以前はセラピスト自身がどれくらい深く潜ったことがあるかが、クライアントをどれくらい深く支援できるかの限界になると言われていた 自分を深く掘ってきた分カウンセリングの場に立っていられると私は考えている

 

人助けの喜びは、自己満足と紙一重かもしれない

 

自分を信頼しつつ疑う
カウンセラーはそんな人かもしれない

 



人は見たいように世界を見る 

無意識レベルの目的達成

人は見たいように世界を見て
聞きたいように聞いて
信じたいように信じる

アドラー心理学の考え方だ

人は自分の目的を持ち、その目的を達成するためには都合の良いように世界を用いているということです

例えば、自分はAさんのことを本当は大嫌いだけれど、立場や道徳観などで人を嫌うことはよくないと考えている そんなAさんの行動を観察し良くない行動を見つけ出し、やはりAさんは嫌うべき人物である 故に自分の感覚は正しい、Aさんを嫌って当然であると思う この時のAさんの行動の良し悪しの判定基準は自分の定規で決めてAさんの都合や背景などは無視されてしまう 無意識レベルでAさんは大嫌いを立証する目的を達成するように見て聞いて信じる

こんなことは日常的によく起こっている、というより自分が見て聞いた信じている世界の全ては自分の目的にあったようなっている あくまでも自分の世界でしかないということだ
仕事上の情報の共有は事実についての共有とすれば可能である 決められた理屈や出来事についてその通り受け止めればいい しかし、解釈、感覚や感情が伴っていると別な話になる
人はこれまで自分が体験したこと、感じてきたこと、学習したこと、影響されたことから今ここで起きていることを判断している それぞれの歴史が違うのだから判断基準が違う、理想も道徳観が違う、社会へのかかわり方、所謂、世界と自分の関係の基盤が違う

最終的に無意識レベルの「世界と自分の関係」を立証するために見て、聞いて、信じている

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言葉のマジック

日本に生まれたのだから日本語を使う 当たり前の話でもあるけれど日本人だからどこでも通じるとは限らない 例えば方言は地域限定の意味があってその地域で生活した人しか分からない
「こわい」の意味は何だろう
「恐怖」「恐れ」「恐ろしい」はもちろん「疲れた」「疲労」「苦しい」または「固い」などを表していることがある

言葉の意味はたったひとつでもない
地域制、精神状態、選択の仕方が影響しいろいろな意味を持ってしまう

これをアドラー先生の考え方の説明にするのはあまりに強引で的外れな部分があるけれど、人には無意識の信じ込みがあって自分のグローバルスタンダードになっている場合があるということを言ってみた

さて、もう一度「こわい」を考えてみよう
「怖い」と聞いてどういう「こわさ」が浮かんでくるだろう

ホラー映画、感染症、将来の年金受給額、悪気がなかった小さな嘘への報復…
いずれも「こわい」と表現されるが自分にとって仲良しの「こわさ」がある
自分のスタンダードな「こわさ」なのだが、「こわい」とは世界中でこんなことになっているという信じ込みが伴っていることに概ね気がつかない 心の専門家のカウンセラーでさえ気がついてないことがある

そもそも言葉はコミュニケーションツールであって万能とは言えない

自分の気持ちは正確に通じないのは、それぞれ見たいよう見て聞きたいように聞いて信じたいように信じている者同士のコミュニケーションだから仕方ないと思えば腹も立たないだろう 自分が分かってもらえないと思うように相手も分からないのである

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自分のホンネすら…

言葉は万能ではない
相手の「言葉」と自分の「言葉」が表そうとしている、伝えようとしているナニカは一致しているとは限らない 自分が伝えようようとしているのは自分が伝えたいことであって相手の世界には存在しないナニカかもしれない

そして、このコミュニケーションは自分の内側でも起きている

自分の判断基準はこれまでの体験や学習など自分の歴史から出来ている
倫理、道徳、社会性は生来の資質と性質が異なり生育過程で周囲から取り込んでいる 言葉を覚えていくことに似ている 自分のホンネでは周囲に認められない、ホンネで行動すると自分にとって悪いこと、叱られたり、罰せられたりするのでホンネとは違う行動をしようとアタマが覚えて世界に適応し、いつしかホンネは忘れられる

自分の感情がわからない、いつもモヤモヤしてスッキリしないのはホンネではなく、アタマが見たいように見て聞きたいように聞いて信じたいように信じるように動くのでホンネとのズレに気づけないからである 感情よりも考えて行動する方を指導する教育の結果かもしれない 

アタマはこの世界でうまく生きていけるように最大の努力をしているので決して悪でない こんな記事を読む方は真面目に生きているタイプが多いのでうっかり自分を責めてしまいがちだから注意して欲しい

自分をよりよく生きたい、安全に生きたい、コミュニティで生きたいという人間本来の傾向があって、見たいように見て聞きたいように聞き信じたいように信じてきた だからこそ今の自分が生きてここに居る事実がある

そういう自分に今までと違うナニカを積み上げてみる

もし、今の自分に違和感があって、ナニカモヤモヤしているとしたら一日5分で構わないから自分の内側と付き合う時間を持ってみたらどうだろう…
静かに深めに深呼吸して敢えて時間を止めて、こんな風に自分の内側に外池けてみたらどうだろう

「今日の自分はどんな感じだっただろう…」
「今何を感じているのなかな…」

直ぐには答えは返ってこないかかもしれないけれど、そのうちきっと内側の自分から話てくれることだろう…

 

 

『ロジャースが提唱する自分らしい生き方への10か条』 
1.偽りの仮面を脱いで、あるがままの自分になる
2.「こうすべき」「こうあるべき」といった「べき」から自由になる
3.他人の期待を満たし続けるのを辞める
4.他人を喜ばせるために、自分を型にはめるのを辞める
5.自分で自分の進む方向を決める
6.結果ではなく、プロセスそのものを生きる
7.変化に伴う複雑さを生きる
8.自分自身の経験に開かれ、自分が今、何を感じているのか気付いていく
9.自分自身を信頼する
10.他人をもっと受け入れるようにする

 

カール・ロジャース アメリカ合衆国の臨床心理学者。来談者中心療法を創始した。カウンセリングの研究手法として現在では当然の物となっている面接内容の記録・逐語化や、心理相談の対象者を患者ではなくクライエントと称したのも彼が最初 (Wikipedia 抜粋)