いつの間にか身につけてしまった「偽りの仮面」に気づく 心理学のエッセンスBlog


2022/1/3~


人は見たいように世界を見る 

無意識レベルの目的達成

人は見たいように世界を見て
聞きたいように聞いて
信じたいように信じる

アドラー心理学の考え方だ

人は自分の目的を持ち、その目的を達成するためには都合の良いように世界を用いているということです

例えば、自分はAさんのことを本当は大嫌いだけれど、立場や道徳観などで人を嫌うことはよくないと考えている そんなAさんの行動を観察し良くない行動を見つけ出し、やはりAさんは嫌うべき人物である 故に自分の感覚は正しい、Aさんを嫌って当然であると思う この時のAさんの行動の良し悪しの判定基準は自分の定規で決めてAさんの都合や背景などは無視されてしまう 無意識レベルでAさんは大嫌いを立証する目的を達成するように見て聞いて信じる

こんなことは日常的によく起こっている、というより自分が見て聞いた信じている世界の全ては自分の目的にあったようなっている あくまでも自分の世界でしかないということだ
仕事上の情報の共有は事実についての共有とすれば可能である 決められた理屈や出来事についてその通り受け止めればいい しかし、解釈、感覚や感情が伴っていると別な話になる
人はこれまで自分が体験したこと、感じてきたこと、学習したこと、影響されたことから今ここで起きていることを判断している それぞれの歴史が違うのだから判断基準が違う、理想も道徳観が違う、社会へのかかわり方、所謂、世界と自分の関係の基盤が違う

最終的に無意識レベルの「世界と自分の関係」を立証するために見て、聞いて、信じている

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言葉のマジック

日本に生まれたのだから日本語を使う 当たり前の話でもあるけれど日本人だからどこでも通じるとは限らない 例えば方言は地域限定の意味があってその地域で生活した人しか分からない
「こわい」の意味は何だろう
「恐怖」「恐れ」「恐ろしい」はもちろん「疲れた」「疲労」「苦しい」または「固い」などを表していることがある

言葉の意味はたったひとつでもない
地域制、精神状態、選択の仕方が影響しいろいろな意味を持ってしまう

これをアドラー先生の考え方の説明にするのはあまりに強引で的外れな部分があるけれど、人には無意識の信じ込みがあって自分のグローバルスタンダードになっている場合があるということを言ってみた

さて、もう一度「こわい」を考えてみよう
「怖い」と聞いてどういう「こわさ」が浮かんでくるだろう

ホラー映画、感染症、将来の年金受給額、悪気がなかった小さな嘘への報復…
いずれも「こわい」と表現されるが自分にとって仲良しの「こわさ」がある
自分のスタンダードな「こわさ」なのだが、「こわい」とは世界中でこんなことになっているという信じ込みが伴っていることに概ね気がつかない 心の専門家のカウンセラーでさえ気がついてないことがある

そもそも言葉はコミュニケーションツールであって万能とは言えない

自分の気持ちは正確に通じないのは、それぞれ見たいよう見て聞きたいように聞いて信じたいように信じている者同士のコミュニケーションだから仕方ないと思えば腹も立たないだろう 自分が分かってもらえないと思うように相手も分からないのである

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自分のホンネすら…

言葉は万能ではない
相手の「言葉」と自分の「言葉」が表そうとしている、伝えようとしているナニカは一致しているとは限らない 自分が伝えようようとしているのは自分が伝えたいことであって相手の世界には存在しないナニカかもしれない

そして、このコミュニケーションは自分の内側でも起きている

自分の判断基準はこれまでの体験や学習など自分の歴史から出来ている
倫理、道徳、社会性は生来の資質と性質が異なり生育過程で周囲から取り込んでいる 言葉を覚えていくことに似ている 自分のホンネでは周囲に認められない、ホンネで行動すると自分にとって悪いこと、叱られたり、罰せられたりするのでホンネとは違う行動をしようとアタマが覚えて世界に適応し、いつしかホンネは忘れられる

自分の感情がわからない、いつもモヤモヤしてスッキリしないのはホンネではなく、アタマが見たいように見て聞きたいように聞いて信じたいように信じるように動くのでホンネとのズレに気づけないからである 感情よりも考えて行動する方を指導する教育の結果かもしれない 

アタマはこの世界でうまく生きていけるように最大の努力をしているので決して悪でない こんな記事を読む方は真面目に生きているタイプが多いのでうっかり自分を責めてしまいがちだから注意して欲しい

自分をよりよく生きたい、安全に生きたい、コミュニティで生きたいという人間本来の傾向があって、見たいように見て聞きたいように聞き信じたいように信じてきた だからこそ今の自分が生きてここに居る事実がある

そういう自分に今までと違うナニカを積み上げてみる

もし、今の自分に違和感があって、ナニカモヤモヤしているとしたら一日5分で構わないから自分の内側と付き合う時間を持ってみたらどうだろう…
静かに深めに深呼吸して敢えて時間を止めて、こんな風に自分の内側に外池けてみたらどうだろう

「今日の自分はどんな感じだっただろう…」
「今何を感じているのなかな…」

直ぐには答えは返ってこないかかもしれないけれど、そのうちきっと内側の自分から話てくれることだろう…

 

 

『ロジャースが提唱する自分らしい生き方への10か条』 
1.偽りの仮面を脱いで、あるがままの自分になる
2.「こうすべき」「こうあるべき」といった「べき」から自由になる
3.他人の期待を満たし続けるのを辞める
4.他人を喜ばせるために、自分を型にはめるのを辞める
5.自分で自分の進む方向を決める
6.結果ではなく、プロセスそのものを生きる
7.変化に伴う複雑さを生きる
8.自分自身の経験に開かれ、自分が今、何を感じているのか気付いていく
9.自分自身を信頼する
10.他人をもっと受け入れるようにする

 

カール・ロジャース アメリカ合衆国の臨床心理学者。来談者中心療法を創始した。カウンセリングの研究手法として現在では当然の物となっている面接内容の記録・逐語化や、心理相談の対象者を患者ではなくクライエントと称したのも彼が最初 (Wikipedia 抜粋)